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かぶら寿し

かぶら寿し

かぶらとブリの麹漬

かぶら寿しは、塩漬した輪切りのかぶらにブリの切り身をはさみ、麹(こうじ)をまぶしてじっくりと漬け込んだ金沢のお漬物です。シャキッとした歯ざわりのよい青かぶらと、脂の乗りきったブリの身が、麹のなかで甘くまろやかな味わいに漬け上がっています。

  • ■ 販売期間:11月中旬〜1月まで
  • ■ 賞味期限:7日間(要冷蔵)

大根寿し

大根寿し

大根とニシンの麹漬

まるまると太った大根に、身欠きニシンの切り身を添えてじっくりと漬け込まれた麹漬。肉質が柔らかく歯ざわりの良い大根は、地元石川県産。身欠きニシンは北海道付近で獲れる肉厚のものを厳選しています。かぶら寿しの姉妹品として、クセのない味が好まれています。

  • ■ 販売期間:10月〜2月まで
  • ■ 賞味期限:7日間(要冷蔵)

大根寿し・特級

大根寿し・特級

数の子を添えた大根寿司

大根寿しに、数の子を添えました。麹でじっくりと漬け込んだ大根と身欠きニシン、そしてニシンの卵の数の子。おいしと歯ざわりと彩りと、贅沢なほどの競演です。

  • ■ 販売期間:10月〜2月まで
  • ■ 賞味期限:7日間(要冷蔵)

弁吉漬

弁吉漬

丸ごと漬け込んだ大根寿し

まるごと一本の大根を使って、縦に入れた切目に身欠きニシンを挟み込んだ麹漬。大根寿しの数倍、手間暇かけて円熟した味わいに仕上げました。からくり人形などを作った奇才、大野弁吉にちなんで弁吉漬と名付けられました。

  • ■ 販売期間:10月〜1月まで
  • ■ 賞味期限:7日間(要冷蔵)

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かぶら寿し・大根寿しの由来

江戸時代後期に、宮の越(金沢市金石町)の漁師が豊漁と安全を祈る正月の儀式(起舟)でふるまわれたとか、前田のお殿様が深谷温泉で湯治をした時の料理に出されたとか、諸説があります。

金沢市史(風俗編)に、宝暦7年(1757)頃の年賀の客をもてなす料理として「なまこ、このわた、かぶら鮓」とあります。また、加賀藩の儒学者、金子有斐「鶴村日記」に、文政9(1826)年1月3日「魚屋小兵衛方より鰤のすし来る風味よし」、1月5日「鶴来町屋よりにしんのすし来る」と書かれており、当時は魚屋が漬け込み、正月の珍味としてお得意様へ贈っていたようです。

大正末期から一般の家庭でも漬けられるようになり、金沢の代表的な冬の味覚として親しまれるようになりました。


漬物なのに「すし」というのはなぜ?

紀元前5〜3世紀頃の中国の字典「爾雅(じが)」に、「鮨は魚の塩辛」とあります。1〜2世紀頃の字典「説文解字(せつもんかいじ)」で「鮓」は「鮨」と違う食べ物であることが記され、3世紀頃の字典「釈名(しゃくみょう)」には「鮓は塩と米でならした魚の漬物」とあります。

「鮨」と「鮓」で日本語ではどちらも「すし」ですが、意味は少し違っています。ところが、3世紀に出た「廣雅(こうが)」では「鮨は鮓なり」と書かれてしまい、両者は混同されて日本に伝わってきました。

魚介類を塩と米で発酵貯蔵する「鮓」は東南アジアから伝わってきました。米とともに日本に伝わったという説もあります。日本では、なれずし(熟れ寿司)がその原型され、滋賀県の鮒寿司が有名です。麹漬のかぶら寿し・大根寿しも、なれずしの一種といえます。

すしは「酸し」が語源とされていますが、もともとは魚介類を酸っぱく発酵保存する技術だったのです。自然発酵で酸っぱくなるのを待つのでなく、酢を加えて米の量を多くしたすしが慶長の頃に始まりました。江戸時代になって「寿司」の漢字が使われるようになり、冷蔵技術の発達ともに、握り寿司、押し寿司、ちらし寿司、巻き寿司、稲荷寿司など今日の寿司に発展していきました。